北海道は道北と道東の観光スポットやアウトドア、渓流と滝を紹介

カムイコタンのシャメカムイ

『ずっと昔の話であります。その頃のカムイコタンは石狩川の河口で、太古はカムイコタンから下流は海でした。毎日のように帆掛け船が何隻となくやってきて、アイヌウタリの捕らえた熊や鹿、鷹、狐、鮭や鱒等と珍しい器具とを交換したものでした。今も石狩川に住んでいるシャメカムイ(チョウザメの神)という神様が石狩川の深淵(神居古潭の橋下にある淵)に住んでいました。太陽の輝いた日には美しい背を水面に遊べて、日向ボッコをしていたものでありました。此のシャメカムイとヌプリコロカムイ(山の神=熊)は非常に仲の良い友達で、一方は水、一方は山でアイヌウタリの守護神として崇められていた。秋になって鮭が捕れるようになるとアイヌ達は自分たちがそれを食べる前に、シャメカムイとヌプリコロカムイに、初鮭や鱒を供えたものであります。だから石狩川を丸木船で遡って来るにしても「オレはカムイの家臣のアイヌだよ」とシャメカムイに告げる変わりに、必ず棹で船の舷を叩きました。すると楽々船は進むことができたけど、舷を叩かなかった者が有ると、シャメカムイは船を転覆させるとか、全く動かなくしてしまうかして、どうしてもカムイコタンから川上には遡ることができなかったのでした。この神様の庇護で上川や石狩のアイヌウタリは毎日平和な日を送る事ができました。』村山ヨモサクエカシ伝・近江正一・伝説の旭川及其附近

オトイパウシの地名伝説

旭川市の史跡となっているイペタムシュマ(立岩)とアタムトウ(底無沼)跡の背後にある断崖の上はオトイパウシ(呼ぶ場所、呼ぶ丘とも)と呼ばれていた。そのいわれに二つの伝説がある『大昔、まだヌタップカムシュッペヌプリ(石狩岳)や隣のオプタテシケヌプリ(十勝岳)とともに盛んに火を噴いていた時代のこと上川の大平野に大洪水が有りました。当時オトイパウシに避難していたアイヌ達が川向かいの嵐山や近文山に逃れた一族の安否を心配して大声で叫びあって無事を確かめた事からこの名が出たという説と、昔此の丘にポルクニウンクルという大首長が要塞を構築し、時にはあのアイヌの英雄神サマイクルと戦争をやったが、破れて戻った味方の大軍にこの場所を知らせるために闇夜絶えず呼び続けたというユーカラに端を発してこの名が生まれたのだという説も有ります』近江正一・伝説の旭川及其附近 ※ここにはチャシ跡が有ります。コロポックルとサマイクルが戦争したという伝説はこのことをいったものか?

層雲峡奥山の悪神(ウエンカムイ)とパウチ

『昔パゥチという怪物が、層雲峡の奧に聳える、石狩川の荒瀬に面した高い山に棲んでいた。パゥチは妻か妹かは明らかではないが、ともかく一人の女人が連れ添っていて、彼女はそのあたりの自然のどんな神々に対しても細かく気を配って、それぞれの神に似合いの美しい着物をあつらえては、お着せ申し上げていた。それでわかることだが、その自然に現に鳥とは限らず、実に美しいものが広く沢山に行き渡っているという事は、きっとこの山の女のおかげで有るに相違ない。こんな良い女に連れ添われているというのに、パゥチの方はその出かけるどこのモシリにおいても悪さをした。これに化かされた人は十里の道程を二、三十分でいけたそうだ。諸々の神達は遂にこのパゥチを快しとしなくなって、協力して、彼をその山域から追い出した。女も彼と一緒に追い出されたかと思うがそれについては何も伝えられていない。ハゥチはそこで、石狩川を逃げ下って、転じて鵡川に出てその河口付近まで逃れ出たが、そのとき彼は「俺も、いろいろ悪さをしてきたがいよいよヤウンモシリ(北海道)ともお別れだ」と思ってしまって川端の柳の葉をむしり取ると、それを鵡川の川波の上に投げ散らかした。そうしてからパゥチは、すぐ川口へ下ると、それからスズランベッへ逃げていった。そこは天にある川だというがパゥチの故郷だったらしい。鵡川でパゥチが、川波に投げ散らかし棄てた柳の葉は、シシャモとなり変わり、それからは、秋になるとシシャモが、鵡川を遡上するようになったという。』北風磯吉エカシ伝・早川昇・アイヌの民俗(1970)・名寄叢書より

ユーカラのポイヤウンペについて

『ポィヤウンペを主人公とする英雄詞曲は、中名寄においても伝えられて来たが、その主人公をサマイクルの弟だとしている。ポイヤウンペはトミサンペッの増毛山道にすみその館跡を留めていると聴く。彼の言葉は、他人が聞いても解りかねるようなものだったので、兄のサマイクルが一々通弁してやったと伝えられている。山奥へ狩猟に行くウタリに、良く出てきて煙草をねだり、与えぬと殺して喰うというキムンアイヌはポイヤウンペの親類ではなかろうか』北風磯吉エカシ伝・早川昇・アイヌの民俗・名寄叢書より

サマイクルカムイの野糞と兎の関係

『天地を創造したサマイクルカムイという神様があるとき野糞をし、尻を拭くのに雪玉をつくって用をたして投げた。それがコロコロと転がって行くうちに兎になったのだという。それで野兎の耳の先が黒いのは、サマイクルカムイの糞の着いた跡であるという。』北風磯吉エカシ伝・名寄町史・名寄叢書より ※兎は一般にイセポとかイセポカムイと言うようですが名寄ではイセポチロンヌプとも言うとのことで、更科源蔵氏は例外としている。

かっこうの津波知らせ

『アイヌの子供と和人の大人たちが、魚をとろうと、海辺に葭を切った上に大きな家を建てた。ところがどうも毎日毎日雨続きで、みんなうんざりしていた。ある日のこと、かっこうの子供が、「津波が押し寄せてくるぞ、みんな早くそこから逃げろ」と、くちばしをパクパクさせて、あちらこちらと飛び回って知らせた。羽のある鳥たちは、それを聞いてすぐ海辺を去り、アイヌの子供は転ぶようにして逃げ去った。家へ向かってとんで帰った。ところが浜辺の和人たちは、おしゃべりを続け、夜も昼もにぎやかにおしゃべりをしていた。それでかっこうの子供の声なんぞてんで気にしなかった。ある日のこと、沖合で大きな音がドーンとした。それで小鳥たちが一斉に飛び散った。けれど和人たちはやっぱり、おしゃべりを続けていた。私(子供の母親)の子供が、突然私のそばに転がり込んできた。私は我が子を二つの腕で抱きかかえた。私は両腕をすぼめて海辺へ向けて歩んでいくと、大きな山が見えてきた。津波が押し寄せていたんだ。私は急いでご飯を炊く道具と弓をてにして、山に向けて走り出した。どんどん、どんどん逃げて、山の頂にある大きな松の根元まで逃げてきて「私どもはアイヌでございます。いつも拝んでいる神がいるのに、これはまたどうしたことか」と声に出しながら、更にまた逃げて、山の上ヘ山の上へと登っていくのだった。山の頂の、大きな松の木に私たちはよじ登って、松の葉の茂みの中にひっそり隠れていた。さて、夜が白々とあけてきた。あたりを眺めると、魚をとる家は影も形もなかった。津波がさらっていったのだ。私どもは、あのかっこうが津波を知らせてくれたので、こうして、私の子供たちともども、まるでかっこうのように、そっと潜んでいたので、みんな助かったのだ。これからはどんなことがあっても、可愛いこの子供たちを手離すまいと思っている。さて、それから後私(主人公の子供)の名前はこうなったの----「カトコロエカチ(幸せな子)」私の名前がそうなったのは、かっこうの神が私に津波を知らせて逃がしてくれたので、そう呼ばれるようになった』旭川市・門野ハルエフチ伝・日本の昔話2・稲田浩二編・アイヌの昔話より。※動物が自然の災害を知らせるという伝説は色々な話が伝わっているがその中でも特に短編と思われるこの話を掲載した。

宗谷・情けないトドの話(仮タイトル)

『昔ポノサマイクルという神がいた。このポノサマイクルがある日外にででサンナイの沖の島にトドが上がっていた。そこでポノオキキリマとともに船を出して、立派な銛に丈夫な柄と綱をしっかりとつけ、サンナイの島に船を漕ぎ進めた。ポノサマイクルは島影から忍び寄り多くなトドに銛を投げつけ、しっかりと両手で綱を握った。ところがトドは七日七晩も海上を北から南へ、南から北へと船と一緒に二人を引きづり回したが、トドは少しもへたばらない。ある日トドがそっと水から顔を上げて二人の様子を見ると二人とも腹がへっていることがありありと顔に出ていたので、「今に見てろ」とトドはまたも水底深く潜って走りに走った。ポノオキキノマはついにたまりかねて「網を切るべ」と言い出したが、ポノサマイクルは「いやここで負けてなるものか」と、手を血だらけにしながらも歯をくいしばって、なおも綱を放しそうにない。しかしポノオキキリマが終に倒れてしまったので、ポノサマイクルも仕方なく綱を切って、「ヤイ憎いトド奴、お前はただの人間だと思って我々をひどい目にあわせたが、今に見てろ、お前の身体に刺さっている銛の木はノリキリだし、綱はイラクサだから、二三日するとお前の身体にはノリキリやイラクサが茂って重くなり、だんだんと重くなり泳ぐこともできなくなる。そのうち銛の柄のシウリが林になって、全く泳げなくなるぞ。そして夜昼七日の大時化にあって山と淵の間にながされ、波打際により上がって腐り、小島になって大きくなったノリノキやシウリを伐りに来る男たちや、イラクサを苅りに来る女たちに小便をかけられて、ひどい臭いめにあうぞ」といって山に行ってしまった。「何をたかが普通の人間のいうことが」トドはたかをくくっていると、二、三日すると時化が来て、いわれた通り浜により上がって腐り、その上にノリノキやシウリが大きく伸び、イラクサが茂り、それを採りに来る人間に小便をかけられ、情けないめにあった。だから人間だと思ってバカにするものではない。と大トドが語った』 宗谷・伝承者不詳・更科源蔵・コタン生物記Ⅱより。

宗谷・ウサギの話(ウサギの生胆)

『天気がよいので兎が浜に出て長い後足で砂浜を駆け上がったり駆け下りたりして遊んでいた。みると海岸にまるで縄でも綯ったように、海馬が沢山休んでいる。兎はからかってやろうと海馬の背中にポンと跳ね上がったが、海馬は一向に動こうとしなかった。兎はいい気になって列んでいる海馬の背中をぴょいぴょう踏みつけながら、だんだん沖の方に行って、沖にいる一番大きな海馬の背中に飛び乗った。するとそれまでじっとしていた海馬がむっくり起きて泳ぎだし、他の海馬も皆一斉に沖に向かって泳ぎ始めた。そして大海馬の言うには「馬鹿な野郎だ、アトゥイコロヘンケ(海亀)の妹が病気になって、兎の胆が一番よく効くといって探しているので、俺が仲間を連れて浜に探しに来ていたのに、うまくひっかかったなー」ということであった。とんだことになったと思ったが兎はしらっぱくれて、「それはせっかくなのに気の毒なことをしたな、よい薬になる胆は山の木の枝に乾かしておいて、今持っているのは薬になんかならないつまらない胆よ」といった。海馬はがっくりして「そうか、それでは何にもならない、ではもう一度浜に戻るから、山に乾かしてあるよく効くのをとってきてくれないか。」そういって海馬はまた浜に引き返した。ポンと海馬の背中から陸に飛び上がった兎は、ぴょんぴょん跳ねながら大口をあけて笑いこけ「バカ野郎、どこの世界に胆を二つも三つもあるものがあるんだ」といったとさ。』更科源蔵・コタン生物記Ⅱより。※日本の昔話にある「猿の生胆」とよく似ているとか。

愛別川の伝説 (近文アイヌの祖)

愛別町の愛別川と近文アイヌの伝説で『愛別はアイヌ語のアイベッで流れの速いところから、矢のように流れの早い川と言うことで矢川と訳されているが、それには昔、此付近にいた上川アイヌは天産に恵まれていたので常に生活が豊かであった。ある年それを妬む十勝アイヌの質の良くない一団が山を越えて、上川アイヌを襲ったことがあった。ところがその一団は皆捕虜になって談判をつけられ、もっていた獲物も宝物も全部取り上げられてやっと許してもらった。ところがこれを聞いた十勝アイヌ首長はコタンの人を総動員して上川アイヌのコタンを襲ったが、また今度も上川アイヌに迎えうたれて敗北し、首長も矢に当たって傷つき、愛別川の激流の中に落ち込んで背にした矢筒を川に落として流してしまった為に戦うことが出来なくなって、再び上川アイヌの虜になってしまった。それ以来この首長が矢を流した川をアイベッというようになった。後に十勝アイヌと上川アイヌは仲直りをし、十勝の首長は上川首長の娘を妻に迎え、その子孫が近文アイヌの先祖になったと伝えられている。上川アイヌの砦は現在の伊香牛のところに、愛別川の支流チャシパオマナイ(砦の頭のところに有る川)のところであるという』近江正一・伝説の旭川及びその周辺より※伊香牛の砦は伝説のみに有り実在しない。

愛別町・愛別サン山の神

『石北本線愛別にある愛別川の奥にサンという山がある。この山には昔からサンコロカムイという神様がいて、病魔などが来ると一喝のもとに追い払う力を持っていたので、天然痘の流行してきたときには、川下の人はこの山より上に逃げると、サンコロカムイが途中で疱瘡神を喰い止めてくれるので、もうそれ以上人間を追って来なかったので、この付近の人々はこのサンコロカムイを徳として、祭りや祝い事に酒をつくると必ずこの山にも酒をあげるのを習わしとしていた。川村ムイサシマツフチ伝。更科源蔵・アイヌの伝説集より

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