コルポックルの伝説
石狩、上川、留萌、宗谷、道東、十勝、後志のエリアに残るコロポックルの伝説(砦や住居跡なども含む)を集めてみました。胆振と十勝に残されている伝説が多いとの事ですが、比較的知られている伝説を掲載しており総てではありません。コルポックルは蕗の下いる人(神)という意味で、言葉自体には「小人」という意味はない。最上徳内は「渡島筆記」の中で、小人は蕗の下からくる臆測であるとしている。胆振穂別系の老人に『私の十六代前はコロポックルだ』と言いう方がいたというし、この辺の伝説ではコロポックルが小人とはされていない。名寄の伝説では「千島に帰った一族でアイヌと称していた」となっている。2〜3mの蕗と言えば足寄町の名物だが、足寄以外でも山岳で渓流釣りをする方は今でも所々で見かけると思う。コロポックルの別名としてトイジンカムイ、トンチカムイ、トイチンカムイ、トイチセ、コッチャカムイなどチャシや竪穴住居跡と結びついて伝えられたり、地名として伝承されている事が殆どで、物語のあるのは少ないようです。コルポックルはどこから来て何処に行ったのか諸説ありますが、最近発売された瀬川拓郎氏の「コロポックルとはだれか」という新書に中世千島列島とアイヌ伝説でコロポックルの伝説を検証されていて面白い(旭川の方は旭川博物館でも発売中)です。結論としてコロポックルのモデルは北千島のアイヌ民族を想定されているが、それで思い当たるのは道内で最もコロポックル伝説の多い道東内で、有名なイクレスイ首長の名で知られた湧別アイヌの勢力圏(北見枝幸から北見市常呂までの間で、網走・美幌・津別はこれに含めない)だった地域にはコロポックル伝説(創作伝説は別)を見いだせなかった。十勝の伝承者が言う「北見にはコロボックルの伝説はない」というのは本当らしく、コロボックル伝説の空白域(断定は出来ないが)の様です。またある伝承者が湧別アイヌは千島系で他とはあまり仲が良くなかったという話を思いだしたが、千島系ということと関係が有るのかもしれない。
- 2012.07.05 Thursday
- コロポックルの伝説
- 20:54
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- by hiro