北海道は道北と道東の観光スポットやアウトドア、渓流と滝を紹介

知里幸恵文学碑

知里幸恵文学碑

叙事詩ユーカラを「アイヌ神謡集」として世に出した知里幸恵の文学碑で彫刻家の空充秋氏が製作。右側の碑の頭頂石には『銀のしずく 降る降る まわりに・金のしずく 降る降る』と「アイヌ神謡集」の一節が刻されている。知里幸恵(1903−1922)は登別に生まれ、母の姉金成マツの養女となり14年間を旭川にて過ごす。大正7年来旭の金田一京助を泊めた縁で自ら書き始めた「アイヌ神謡集」出版の話が進み、大正11年5月に上京。金田一家に寄寓しながら校正作業にあたるが、その年9月に夭折、19年と3ヶ月の生涯であった。「アイヌ神謡集」は翌年出版された。北門中学校には知里幸恵資料室があり一般公開されている。◇建立年:H2.6.8 ◇設置場所:北門中学校 ◇住所:旭川市錦町15丁目

今野大力の詩碑

今野大力の詩碑

明治37年、宮城県生まれ、3歳の時、家族とともに旭川に移住。その後、名寄、深川を経て再度旭川へ。旭川では旭川新聞社の給仕の後、郵便局で働く傍ら詩作を始め、文学を志す若者と交流、小熊秀雄らとも親交が有った。25歳時に上京するが、昭和7年の一斉弾圧検挙とその時の拷問で重態となり、釈放されたが昭和10年中野療養所で亡くなる。闘病中、宮本百合子の援助を得、青年詩人として詩作に傾注。没後50年を記念して建立された蛇紋岩の大きな碑に『詩人が時代の先駆をした 詩人が郷土を真実に生かしたそんな言葉が 私の耳に流れては来ないかしら そんな言葉が 地球のどこかで語られる時 私のからだは墓場の火玉となって消えるだろう」1924年作「やるせなさ」より』と。◇建立年:S60.6.22 ◇設置場所: 川のおもしろ館裏 ◇住所:旭川市常盤公園

小熊秀雄の詩碑

小熊秀雄の詩碑

明治34年小樽生まれ、不幸な家庭環境の中で小樽を振り出しに転校を繰り返し樺太で卒業。20歳で旭川新聞社に入り上京するまで旭川で活躍、今野大力とも親交の有ったプロレタリア詩人。昭和3年、27歳で最後の上京をし以後東京で活躍、昭和13年、肺結核により39歳で没す。「飛ぶ橇」「流民詩集」「小熊秀雄詩集」など有り。碑の建立時に小熊秀雄賞が設けられた。碑文の揮毫は壺井繁治。碑には『ここに理想の煉瓦を積み ここに自由のせきを切り ここに生命の畦をつくる つかれて寝汗掻くまでに 夢の中でも耕やさん』と遺稿「無題」の一節が刻されている。◇建立年:S42.5.28 ◇設置場所:青少年科学館裏 ◇住所:旭川市

蘆花寄生木ゆかりの地碑

蘆花寄生木ゆかりの地碑

明治42年に発表した小説「寄生木」は、第七師団と春光台を舞台に見習士官「小笠原善平」をモデルとして書かれた二千頁に及ぶ長編小説で、軍人篠原良平が失恋の悲嘆の内に自殺する悲しい物語。小説「寄生木」は小笠原善平が恩人乃木大将の為に小説を書くべく、政敵の陰謀による父の投獄や乃木大将との関係、愛する人の事などを手帳に書き留め、徳富蘆花に小説化を依頼してなった異色の作品で、小説の序文には真の作者は篠原良平であると断っている。明治から大正時代のベストセラーとなったが戦争にてタブー視される。碑は旭川観光課が建立。仙台石の碑には「蘆花寄生木ゆかりの地」と刻されている。◇建立年:S33.5.24 ◇場所:春光台公園 ◇住所:旭川市春光町3区

三浦綾子文学碑

三浦綾子文学碑

1922年旭川生れ、小学教諭を経て昭和39年、見本林が舞台の「氷点」で懸賞小説入賞、のちにドラマ化される。文学館入り口に有る碑には「この文学碑は、旭川で生まれ、この地で生涯を通じて作家活動を続けてきた妻、綾子の業績を顕彰して建てられました。見本林の風景は綾子のデビュー作となった「氷点」に、活き活きと描かれています。この地を訪れた皆さんが人間の生き方を求め続けた三浦文学の世界に触れていただけると幸いです」と有った。◇建立年:H12.10.12 ◇場所:神楽見本林入口 ◇住所:旭川市神楽7条8丁目

井上靖文学碑

井上靖文学碑

碑は井上靖通りの噴水脇にあり『自分が五月に生まれたということも、幼少時代の私にはすばらしいことのように思われた。母が時に五月の旭川の、百花が一時に開く美しさを語るのを聞いたりすると、私は誰よりも恵まれた出生を持っていると思った。寒い間、母の腹中にぬくぬくと仕舞われてあり、雪がとけ、春の明るい陽光が降り始めると、私は母の腹中から飛び出したのである。「幼な日のこと」より』と有る。◇建立年:H5.7.24 ◇設置場所:井上靖通り ◇住所:旭川市春光町1区

井上ふみ文学碑

井上ふみ文学碑

碑は井上靖通りの彫刻「重さのロンド」近くに有り『大雪連峰をはるか右に見ながら、ゆるやかな丘陵地帯を車で走っている時であった。「ここまで来ると広くていいな」と靖は言った。昭和54年11月「僕が生まれたのはどんな所か行って見ようよ」と私も同行した旭川であった。もう雪が降っていて、街路樹のナナカマドの実が雪を被って美しかった。「靖と旭川」より』と有る。◇建立年:H5.7.24 ◇設置場所:井上靖通り ◇住所:旭川市春光町1区

更科源蔵文学碑

更科源蔵文学碑

弟子屈町出身の更科源蔵(1904-1985)氏は北海道では高名な詩人で同時に郷土史・アイヌ文化の研究者として著名だがアイヌ民族の理解者という事ではない。詩「吹雪の古譚」の一節から「・・・原始な住民共を 無智な迷信と必然の信仰の犠牲に供へられる オクユ・イビレの生血に染つた雪は深い・・」はアイヌ民族への差別意識を感じる一文。「風雪の群像」裏面誌「風雪百年」に刻まれた更科源蔵作「基石」の一節『耐えに耐え頑固に立ち直り 不屈な力に支えられて百年の冬と夏、春とそして秋がくり返され ついに広い空の下に 大地はその全貌を見せた今 花よりあざやかに大地を彩る家々と耕地そして 若く巨大で明るい国土を創造する貌々 道はすべてこの基石にはじまり ここに集まる 今こそ大望を抱け 母なる北の大地よ 更科源蔵作「基石」の一節より』と、先住民族に対する配慮は一切ない。研究者が理解者とは限らない典型例かも。◇建立年:S45.8 ◇設置場所:常盤公園内 ◇住所:旭川市

旅路記念碑

旅路記念碑

NHKドラマ「旅路」の記念碑で、昭和44年7月19日の除幕式には平岩弓枝も出席。碑には『人生は 旅路 夫婦は鉄路 』と刻されている。ドラマの主人公、函館本線神居古潭駅に赴任してきた室伏雄一郎・有里夫婦にとって神居古潭は第二の人生への出発であった。碑はドライブインを経営する会社が昭和44年に建立したが、ドライブインが廃業してからかなりの年数で碑の傷みが激しい。映画の舞台となった駅舎は旭川市の史跡として保存されている。◇設置場所:ドライブイン跡 ◇所在地:旭川市春志内神居古潭

阿部みどり女句碑

阿部みどり女句碑

阿部みどり女は明治19年、永山武四郎の四女として札幌市で生まれる。本名は光子、明治43年結婚。結核で転地療養中に俳句をはじめ、高浜虚子に師事、昭和55年93歳で没す。句集には「笹鳴」「微風」「駒草」などがある。句碑は「屯田歩兵第三大隊本部跡」の碑裏面に『郭公や美田の底に鎮む魂』と刻されている。句碑面は建物の関係で撮影は難しい。◇設置場所:永山屯田公園 ◇旭川市永山3条18丁目

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