松浦武四郎通過之地 (富良野)
どこかの郷土史で「江戸末期の安政5(1858)年3月、松浦武四郎は幕命を受け石狩詰の役人を従え旭川から美瑛川筋を上り、上富良野〜空知川水源を越え、千古不斧の原始林を踏破し十勝へと抜ける壮大な調査を行ったが、その時に十勝岳の大噴火に遭遇している。案内人はトックの酋長セツカウシやチクベツの酋長クーチンコロはじめ、自ら志願した屈強な12人で有ったが、噴火に驚き戦(おのの)き地にひれ伏して神に祈りを捧げたとの事である」と書いてあるのを見た記憶がある。日時や随行したアイヌは間違いないのだが噴火は前年の安政4年には噴火があったようだが十勝日誌にも安政5年の戊午日誌にも噴火の記載はない。ヲツチシバンザイウシベ(富良野岳)とヲツチシベンザイウシベ(前富良野岳)の間のルウチシ(特に険しい峠にこの名前が多い)を越えた地にある「原始が原」に松浦武四郎の偉大なる足跡を偲び不滅の功績を永く後世に伝えんと有志によって昭和48年10月に原始が原の標高1040地点に松浦武四郎通過之地標(再建されている)を建立される。簡単に言うと富良野岳登山道から五反沼方面に少し入ったところ。◇富良野市原始が原 ◇位置情報 N43'21'55' E142'37'06'
- 2010.11.05 Friday
- 松浦武四郎の足跡
- 22:22
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- by hiro