松浦武四郎宿営の地 猿払
北オホーツクでは稚内に次いで2番目の武四郎碑。江戸末期の鬼志別は小休所であり宿泊は浜猿払にあった通行屋(番屋?)だったので、猿払公園に武四郎が宿営したという事ではない。ただ実際の宿営地で誰の目にも触れないよりは「道の駅」に設置し、説明板で誰にでもわかるようにする方がよいだろう。弘化3年は猿払の番屋が無人でアイヌ民家に宿泊、懇ろに世話をしてくれ歌も聴かせてくれたが疲労で歌どころではなかった様子。竹四郎廻浦日記ではこの碑がある所は「イシヤンベ」と呼ばれ「此所に到りてカムイト(北見神威岬)を見る」と確かにここからは神威岬が見える。宿泊はサルブツ(浜猿払)で「舟渡し。超えて通行屋一件」とありと、ここで宿泊している。安政5年、3度目の猿払入りでは初日は当地の役アイヌであったアヤシ宅に宿泊、翌日に枝幸からの同行者と当地乙名の娘が案内してポロ沼を一巡した後に猿払川を遡っているが、ホロナイで流木に阻まれ先に進めず引き返し、当日は番屋泊まりだった。◇猿払村浜鬼志別 道の駅・猿払公園
- 2014.04.28 Monday
- 松浦武四郎の足跡
- 12:20
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- by hiro