北海道は道北と道東の観光スポットやアウトドア、渓流と滝を紹介

天塩川歴史紀行説明板 トンベツホ

天塩川歴史紀行説明板

説明板では6月11となっていて踏査行五日目の(実際の宿営日は6月12日と6月25日で往路4日目となる)概要がしるされている。ここでは説明板にないが、帰路に実際に立ち会った「熊送りの儀式」を熊を処理するには色々の儀式やしきたりがあると絵とともに天塩日誌に詳しく記している。佐藤正克氏の闢幽日記に「松浦氏天塩誌ニ七段瀧ノ図アリ。然トモ今其何処ナルヲ知ラズ」とある「シイヘルカルシ七段の滝」に関しては佐藤氏が場所を間違えたか、雨後で帰路は増水していたというので一時的な幻の滝という可能性もあり説明板では触れていない。天塩川歴史紀行説明板は旧筬島小学校正門の裏側、アトリエ3モアの斜め前に有ります。旧筬島小学校はアトリエ3モアという施設になっています。◇音威子府村字筬島

松浦武四郎宿営之地碑 美深町

武四郎と恩根内

天塩川踏査の往路(6月13日)と帰路(6月24日)に宿泊している。近世蝦夷人物誌にも登場するヲクルマトマナイに住んでいたエカシテカニ一家が武四郎らを手厚くもてなし「住んでいる国がもっと近ければ娘を嫁にやるのだが」と語ったと云う程に松浦武四郎はアイヌに信頼されていたのでしょう。その時の返礼に詠んだ歌がびふかアイランド内にある歌碑に刻まれている。平成10年に美深町文化史跡に指定された。◇美深町恩根内 ◇位置情報 N44'36'05' E142'18'29'

天塩川歴史紀行説明板 ヲクルマトマナイ

天塩川歴史紀行説明板

美深町市街地から国道40号を北上、恩根内大橋を渡り右折、国道下を通り抜け恩根内駅を過ぎて三叉路を左折するとまもなく右側の道路脇、恩根内駅から約400mに石碑と美深町設置の説明板、天塩川歴史紀行説明板がある。ここには昭和初期に郷土史研究をされていた笠原康雄氏が木碑を建てたというが、平成10年に美深町文化史跡として石碑となったが裏面は英文。ヲクルマトマナイ仮住まいしていたエカシテカニ一家に往路(6月13日)と帰路(6月24日)に宿泊している。ここでは五弦琴(トンコリ)などを楽しんだようです。◇美深町恩根内

天塩川名 由来の地 テッシ びふかアイランド

天塩川と武四郎

踏査でこの地を訪れた松浦武四郎は「大昔に神が作り並べた」という川の中に一条の岩が並んでいる様子を、天塩日誌に『本名テシウシなるを何時よりかテシホと語る也。テシは梁の事ウシは有との意なり。此川底は平磐の地多く、其岩筋通りて梁柵を結し如く、故に号しと』この地形が「天塩」の語源になっていると記した。テッシは部分的に凹んで深くなっているので溺死する者が多く渡渉禁止となっていた様だ。木材の流送や船用に掘削され今は超渇水にならないと見えないが、びふかアイランド内に十分の一にスケールダウンしたテッシが作られている。ここでは魔神が梁柵を作りサケを捕ることをアイヌに教えたという伝説も残されている。美深町指定文化財です。◇美深町紋穂内 森林公園びふかアイランド内

松浦武四郎踏査之地碑 びふかアイランド

松浦武四郎踏査之地碑

道の駅〜びふかの後方の美深森林公園びふかアイランド内の「びふか温泉」と道を挟んだ正面に歌碑及び踏査之地碑と美深町町長の説明板がある。安政4年の天塩川流域踏査行時には往復とも恩根内のエカシテカニの家に宿泊。武四郎らを手厚くもてなしてくれた礼に贈った詩2首が碑に刻まれています。『ゑみしらは筍にもる飯も古のさまをつたへて葉椀にぞもる』『かきならす五つの緒ごと音さえて千々の思いをわれもひきけり』宿営地はここからR40を更に北上し恩根内にあります。◇美深町紋穂内 森林公園びふかアイランド内

天塩川歴史紀行説明板 ナイフト

武四郎と名寄

松浦武四郎が名寄に入り最初に宿泊した。ナイフト(名寄川河口)から少し左に入った名寄川右側岸辺に民家二軒有り、アヘルイカ家に宿泊(6月15日)、名寄川踏査の帰路(6月18日)と天塩川上流域踏査の帰路(6月23日)にも宿泊している。当地は蚊やアブなどが多くこれを防ぐため、家の中に囲炉裏の煙をこもらせる工夫をしていたこと、鹿猟の仕掛け弓の方法や、鹿猟で使用する笛などこの地方独特の様式に付いて記録している。また苦労して製作した織物を和人との交易で安く買いたたかれていた実情なども記している。天塩川歴史紀行説明板は道道933号(日進名寄線)を下川町市街から美深方面に向かい、日進橋を渡り日新駅前の通りで左折、ピヤシリ大橋の手前で左折し堤防に入って少し進むとある。実際の宿営推定地は道道933号(日進名寄線)を美深方面に向かい、日進橋を渡って約1.6km程進んだ右側で日新遺跡群の説明板がある所。二つの説明板による混乱を避けるため名寄川堤防上だけとしたという。◇天塩川歴史紀行説明板 名寄市日新 名寄川堤防

松浦武四郎野営の地碑 下川町

武四郎と下川町

松浦武四郎はチノミ(上名寄・九線川河口付近)の首長エレンカクシ家(6月16日泊)を拠点に名寄川とサンル川の合流点付近のサンルベシベに野営(6月17日)し、名寄川及びサンル川を踏査したとされる。松浦武四郎はこのあたりで倒木流木に船の行く手を阻まれ、伐ったり潜りぬけたりと悪戦苦闘。水量も少なくなり陸を行くが両岸は木と蔦がからみあい、小さい沢が多く本筋が分からなくなる程と「午後峠に到り木間より海が見え、峠を越えて行くとホロナイ川」という内容は、原本の丁巳日誌にはなく、聞き書きを元に興を添えるため創作した武四郎流のフィクションであり、峠を越えて行くとホロナイ川は確かだが海の見えるような所ではない。道道60号(下川雄武線)を下川市街から左折し雄武方向に進む。名寄川を渡りサンル川にかかる橋を越えて最初にあるカーブの終わる所の道路左側に標柱がある。下川市街から約1.5km程。◇木碑標柱 下川町北町462

名寄川上流到達点の碑 下川町

武四郎名寄川上流到達点

名寄川及びサンル川を踏査時の悪戦苦闘ぶりが天塩日誌の中に書かれているが、実際に本人が確認しなかった内容も含まれ、山に登ったと言う話は実際の日程からは不可能と思われる。下川町二の橋のユニナイ川河口付近で引き返し、上流域については聞き書きを残している。標柱は国道239号を下川町市街から興部方面に約4km、左側の神成牧場を通り過ぎ、右に名士バス30線バス停付近を過ぎてまもなく道路右側にある。木標の近くに「二の橋道路標識」があるのでそれが目印になる。近くに駐車スペース一台分。◇木碑標柱 下川町三の橋30線

松浦武四郎宿営地 士別市北町

武四郎・リイチャニ

国道239号から道道976号(西風連士別線)に入り北上して下北大橋手前の交差点を左折。さらに右、左と曲がって剣淵川堤防に上がると前に説明板が見える。「此処ニシハコロの村也。上陸して乙名の家(鱒捕小屋)を見るに、誰も住ざるが故に家根腐れて家には虎杖等多く生茂りたり。其傍にて止宿(6月19日)しけるに、此辺蚊の多き事いよいよ下に倍し喰事も何も出来ざるが故に、夜に入てより其家を明此内に入、火を燃して宿しぬ。然る所明前一雨降来りしが、処々滝の如く漏り出したる故、如何とも致しがたかりしが、翌朝見るに其雨もり滴煤水にて何も皆染りけり」すすだらけの雨水でずぶ濡れとはあまりにも気の毒と言うしかない。このあと剣淵川を50町ほど遡り(12線橋付近)凡その地形を見て戻っている。◇説明板 士別市北町 剣淵川堤防際

松浦武四郎宿営地 中士別

武四郎と士別

サッテクベツに着いた時は皆出かけており殆どの家は留守で有ったが(当時三軒有ったが人が住んでいたのはルヒサンケの家のみ)、この時に空家で酒を仕込んでいる。ルヒサンケの家に泊まり(6月20日)翌日さらに上流へ踏査に向かい、帰路(6月22日)に再度ここに泊まっている。この時は武四郎が来た事を聞きつけて大勢が集まり、仕込んでおいた酒で盛大に酒宴を張ったと云う。踏査の道中悲しい話を聞き無情の様を見て来たが、初めて楽しそうな様子を見たと。この時の従者トセツとアエリテンカも此地の出であった。サッテクベツの宿営地には国道40号を名寄方向に進み、大通り北3で右折し九十九橋を渡り、1つ目の信号を右折、約600m直進して境橋を越えてすぐ右折。約100m先の天塩川土手の下で水門近くに案内板がある。ここに村長ニシバコロの住居跡の標柱も立っている。駐車スペースあり。◇士別市中士別

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