北海道は道北と道東の観光スポットやアウトドア、渓流と滝を紹介

知床・カラマヨコウシ ヲキナの伝説

『大昔ヲキナという大魚を神様が釣りあげられたところという伝説がある』 知床日誌初掲『本名はカラベイヨクシ(カルマイクシ)と云うよし也。此辺赤岩崖なり。其訳昔鮫多く此処へ一度によりしより号るとかや』 戊午日誌※ヨコ・ウシ・イは「槍を構えてまっている・いつも・する所」で本来は鮫をついた場所であるが、伝説の「オキナ」は鯨の化け物様な想像上の大魚というが・・・参考に登別にある伝説を追加した

『昔、オキナ(マッコウクジラ)という巨鯨がいて、海の魚ばかりか漁に出た人間おも飲み込んでしまうので、神々が心配して、六日六晩かかって刀をつくり、それをかわうその神に持たせて退治に向かわせた。ところがカワウソは世界の果てまで行ってオキナとであったが、大声を上げて怒鳴り散らすだけで、一向に刀を抜いて切ろうとしない。その争いの声が物凄いので、どこへ行っても神々は逃げてしまい、助太刀しようとしなかった。それを登別の神だけは逃げようとせず、「なぜ刀を抜いて切ろうとしないのだ」とカワウソに注意したので、カワウソは始めて刀を持っていることに気付き、刀を抜くなりオキナを真二つに切って、頭の分を登別の神にお礼に置いていった。それが現在のフンペ・サパと呼ばれる丘になった』伝承者不詳・更科源蔵・コタン生物記Ⅱより。※登別の伝説ですがオキナの参考に追加した。

知床・ワシ岩

半島先端部付近に有るワシの姿をした岩に有る伝説『昔、シレトココタンのムラオサ(首長)はオジロワシの雛を捕らえ大事に育てていた。成長するにしたがい、ワシはムラオサ(首長)と狩りに出かけては、獲物を捕ってくるようになった。しかし、ある冬の日、狩りに出かけたムラオサ(首長)は猛吹雪に会い、餓えと寒さのためとうとう帰らぬ人となってしまった。主を失ったワシは途方にくれ、いつまでもムラオサの死んだ場所に留まるうちに岩となった』 知床半島の地名と伝説※鷲岩の近くと思われる所カムイシュマがあったらしく 戊午日誌に『中央にカモイシュマ(シャマイクルカムイの名もあるらしい)と云いて大なる立岩あり神霊著しき由にて何鳥も富まらずも奇なり』とある。それと関係ある伝承か? 坪谷京子さんの「老人とオジロワシ」は脚色されているのでは面白いが伝説としては?

羅臼のオショロコッ

『昔此処にて源延尉鯨の岸に流れよりしを拾いて、蓬の串に刺焼て居玉ひし処、其蓬焼て折れたる時驚きて尻餅を搗たまひとかや。よって号』 戊午日誌『昔源義経公が、波に打ち上げられた鯨の肉を切ってヨモギの串で焼いていると、その串が折れて、火の中に倒れたのにびっくりして尻餅をつかれたところ』 知床日誌初掲・現代語訳 ※「尻餅をついた跡が窪みとなった」という部分は無いが、伝説の原型に最も近い内容と思われます。北海道庁編の「北海道の口碑伝説」にも集録、源義の原型をオキクルミとしているが、ここではサマイクルと思うが?地名は“オソルコッ⇒尻餅をついた跡の窪み”を云う。

羅臼の星の有る川

『Rikop oma nay‘星川 往古川口ニ星落チテ石トナリ暗夜ニ明光ヲチタリト云フ、「リコフ」は星ノ儀ナリ』蝦夷語地名解 ※リコフが星という語は他の辞典では見あたらず、ただ更科源蔵も星の事と述べている。また此の短い一節が文筆家の手によって変節する例を一つあげておく。『根室の目梨郡にリコップオマナイという川がある。星のあるかわという意味で、この川口にある岩は天から落ちた星だと云うのである。昔我が儘な星の子供が居て、星の世界の規則を守らずに悪戯ばかりする手あまし者であったので、ついに天上の神の怒りに触れて下界に追放される事になり、落ちたのがリコプオマナイの川口であった。淋しい下界に落ちた星の子供はさすがに後悔して天上に恋し、ここに落ちてからもしばらく光を放って天に帰る事を願っていたという事である』中田千畝・アイヌ神謡となるが、こういう伝説が本物の伝説の中に紛れていたとしてどれだけの人が気づくだろうか・・その点で直接古老から聞いた話や、江戸期に記録された伝説は信頼性が高い。川の現在名は居麻布(おるまっぷ)川。

羅臼の熊岩・鷲岩

『知床の岬の方に悪者が入らぬようにとルシャの先の昆布浜に、神様は番兵として熊岩と鷲岩を置いた。熊岩は実によく分かる道ばたにいる。また鷲岩は1kmほど行ったところに羽をいからしている姿は、沖から見るとなるほどと理解できる。知床の岬の鷲は鳥の姿そのままであるが、ここのは近くでは鷲に見えない茶色である。』知床物語と伝説※熊岩が昆布浜の道端にあるとした時点でアイヌ伝説というには無理がある。昆布浜はアイヌ時代はトカラ・モイで道も今とは異なり、脚色されたか創作伝説であろう。

羅臼・材木岩(チカフコエキウシ)

『武蔵坊弁慶は、この地に来て国後と知床があまりにも近いので、この海峡に橋を架ける大計画をたてた。この破天荒な計画に陶酔したアイヌたちも、彼の美男で雄々しさに 敬服したものだった。弁慶も良く働くアイヌに報酬を忘れなかったし 長には彼らのもっとも喜ぶ刀剣の類を授けて仕事の完成を計ることをわすれなかった。そのうち長の娘が、彼に恋いをいだくようになり、大計画のため努めて身を正していた弁慶も、ついに娘の恋心に負けてしまった。やがて二人の異民族の交わりは、アイヌの最高神カムイの知れることとなり、激怒したカムイは、橋造りのため集められた膨大な木材を岩と変えてしまった。いまでも材木岩となって残っている。』知床羅臼サイトの海峡伝説※日本海岸や網走と釧路には似た話はあるが、釧路のカムイルイカは和人の創作と思われる内容。網走の伝説は魔神が橋ではなく海中に梁をかけて魚の回遊を妨げ、これに怒ったサマイクルカムイが其の梁を壊して積み上げたのが材木岩となる。サマイクルカムイはアイヌ最高位の神で、海岸部の伝説では義経や弁慶の名で登場する事が多い。つまりこの話はアイヌ文化神サマイクルカムイと義経や弁慶の関係を良く知らなかった和人の創作、もしくは和人の好みに合わせ無神経に脚色を加えた伝説と云うのが妥当。

標津ソーケショマナイチャシの伝説

話が長いので要約して記載する。『標津町の留辺斯(ルベス)駅逓所より二里ほど下った所に忠類川とソーケショマナイとの合流部(現・金山公園付近)に堅固な砦があり、そこの首長ヨコウシは近隣に知られた財産家であった。ヨコウシの祖先の頃、ある年の夏に忠類川の水が枯れて大滝の底が現れたことがあり、その時滝壺の中に沈んでいた数百貫の金塊を得て北海道の王者にのし上がった。このことを知った各地のアイヌは隙あらば奪わんと狙っていたが堅固な砦に立てこもる金山には誰も手が出せなかった。北見の首長サツリーは悪人で執拗に全財産を奪わんと狙っていた。金山の首長に界隈きっての美人と評判の一人娘ソキリニがいて、北見の首長サツリーは息子の嫁にと再三申し入れていたが、首長ヨコウシはこれを聞き流していた。ヨコウシの娘ソキリニは茶志骨首長次男のワッカオイと恋仲で嫁ぐことになった。これを知ったサツリーはソキリニが嫁入のため護衛隊と出立して砦が手薄になった所を狙って攻め込んだ。砦は老人と女だけで首長は戦うのをあきらめ、はまず老人・女を逃がしてから、誰にも告げることなく財宝を金山の滝の所に深く埋めてしまった。その後で砦に火を付け、炎の中に消えていった。金塊を埋めた場所の鍵として「朝日さす・夕日さす」という言葉が残されている。』※標津町史よりこの話は西村武重氏が大正年代に留辺斯(ルベシ)駅逓所でラウシという古老から聞いたという話が元になっている。金塊の話などを含めて全体に脚色があるような印象はぬぐえないが、北見アイヌとの闘争などがあったという骨子は間違いなさそう。標津にはチャシ跡の数は多いが、それと比較してチャシ関連のアイヌ伝説の少ない様です。

標津・イミナイ&サキムイ

戊午日誌より『イミとはまむしの事を云、往昔此処に大なる蝮蛇が住み居たるを、判官様退治なし玉いしと云』とあり。崎無異寄り薫別よりの川名。崎無異に関しては、松浦武四郎の「戊午日誌=欄外」に『昔神が一人、山よりサキムイサキムイと云って下られしと云うなり』とある。地名の意味が忘れられると訳の分からない伝説ができるのかも・・

中標津・ハウシベツ

標津川の上流部で中標津町モアンより奥にあるも現在名は?戊午日誌より『両岸峨々たる高山、其訳は判官様が熊を捕らえられしが山に成りしと云えり』とある。地名の語源と伝説は一致していない・・・

標津・ホニコイチャシに関する話

エリモンクル伝説というタイトルで標津町のサイトにホニコイチャシの伝説が掲載されている。其の要約をここに掲載する。『シベツ川の右岸の丘の上にホニコイチャシあり現在の望ヶ丘公園近くと思われます。ホニコイチャシの南方にあるチフルチャシのアイヌとは仲が悪く争いが多かったが、なかなか決着が着かずにいた。チフルチャシの大将はトシャムコロと云うチフル川からシュンベツ川(別海町春別)までの総大将。ホニコイシャシの軍師は修業に来たエリモンクルという知恵者であった。あるときエリモンクルは、敵の前で裸の女を走らせ、敵の油断を誘い背後から攻めるという奇計を考え、恋人コエカイマツを説得して計画を実行。チフルは混乱のうち敗北し、ホニコイに従う事になったという』※加賀伝蔵が書いた「蝦夷風俗図絵」(市立函館図書館蔵)という本の中の一話だが伝承としては残されていない。寛政年間から四代にわたって伝蔵を名のり、アイヌ語の通詞をしてきた家で、中でも四代目・伝蔵の書き残したものが最も多い。別海町に加賀伝蔵文書館がある。詳しくは標津町の公式サイトでご確認を。なお周辺にはチャシ跡が六基以上あり、伝説のチャシと現在のホニコイチャシが同じという確証はありません。またこの伝説は伝三の話を元にして脚色は少しされているかもという印象はあるが、伝三が通詞をしていた時代には伝わっていた話なのだろう・・・

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